東京地方裁判所 昭和52年(ワ)9361号 判決 1980年7月17日
原告 五味屋株式会社
右代表者代表取締役 佐藤昇三郎
右法定代理人支配人 佐藤博利
右訴訟代理人弁護士 宮瀬洋一
被告 中村豊
右訴訟代理人弁護士 鈴木誠
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一、二〇七万八、五一四円及び内金九三四万六、八八七円に対する昭和五三年八月二五日から支払ずみまで金一〇〇円につき日歩金五銭の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、工作機械、工具等の売買を目的とする株式会社であり、訴外中村機工株式会社(以下「訴外会社」という。)と一〇年余にわたり商取引を継続してきた。
2 原告は、昭和五〇年九月二〇日訴外会社との間であらためて商取引基本契約を締結し、代金の決済方法を毎月二〇日締切り、翌月一〇日払とすること、金銭債務の不履行、手形の不渡等の事実が発生したときは、訴外会社は期限の利益を失い、債務残高全額に対し金一〇〇円につき日歩五銭の割合による遅延損害金を支払うこと等を定めた。
3 被告は、右商取引基本契約の締結の際、訴外会社が原告に対して負担する売買代金債務、手形債務等一切の債務について連帯保証した。
4 仮に訴外中村喜八(以下「喜八」という。)は、同日右商取引基本契約の締結の際、次のとおり、原告に対して、被告のためにすることを示して3の訴外会社の原告に対する債務について連帯保証をした。
(一) 有権代理
被告は、喜八に対して、右連帯保証契約の締結に先立ち、同契約についての代理権を授与した。
(二) 無権代理の追認
被告は、喜八に対して、右連帯保証契約締結の代理権を授与した事実がないとしても、喜八の右無権代理を追認したと認めるに足りる次のような事情がある。
(1) 被告は、原告会社社員松井照雄が、同五二年四月一一日ごろ右連帯保証債務の履行を請求した際、右松井に対して、近日中に原告会社東京支店を訪問して履行方法についての話合いをする旨の回答をした。
(2) 被告は、同月二七日鈴木誠弁護士を代理人として喜八とともに原告会社東京支店に出向かせ、同所において、原告に対し、訴外会社の破産財団から配当を受領した残額についてのみ請求して欲しいとの要請をした。
(三) 民法一〇九条、一一〇条の表見代理
被告は、喜八に対して、右連帯保証契約締結の代理権を授与した事実がないとしても、次のとおり喜八のなした連帯保証契約は民法一〇九条及び一一〇条の表見代理行為であり、被告は、連帯保証債務を負担する。
(1) 被告は、喜八に対して、右連帯保証契約に先立ち、訴外会社が銀行から借入をするにあたり被告が保証人となることについて代理権を授与し、その際に使用させるため自己の実印を預けていた。
(2) また、被告は、右連帯保証契約の締結に先立ち、喜八に対し自己の実印及び印鑑証明書を交付して、原告に右連帯保証契約の締結の代理権を授与した旨を表示した。
(3) 次のような事実があるので、原告には、喜八の行為が右に表示した代理権の範囲内の事項であると信ずべき正当の理由がある。
(ア) 喜八は、右連帯保証契約を締結した際被告の実印を使用し、かつ原告に対し被告の印鑑証明書を交付した。
(イ) 被告は、主債務者である訴外会社の取締役であり、訴外会社の代表取締役である喜八とは実親子の関係にある。
5 原告は、訴外会社に対して、左の売掛債権を有している。
(一) 同五一年七月二一日から同年一二月二〇日までの機械、工具の売掛残金合計金七八五万八、二五〇円
(二) 同五一年一二月二一日から同五二年二月一九日までの機械、工具の売掛残金二四一万一、〇二七円
(三) 右(一)(二)の売掛残金合計金一、〇二六万九、二七七円
6 訴外会社は同五二年二月四日銀行取引停止処分を受けたが、原告は同五三年八月二四日訴外会社破産管財人小林和夫から配当金として九二万二、三九〇円の支払を受け、債権残額は金九三四万六、八八七円となった。
7 よって原告は、被告に対し、連帯保証債務の履行として、売掛残代金九三四万六、八八七円と配当金の内入を受けるまでの残代金一、〇二六万九、二七七円に対する弁済期後の同五二年三月一一日から右配当日である同五三年八月二四日までの金一〇〇円につき日歩五銭の割合による約定遅延損害金二七三万一、六二七円との合計金一、二〇七万八、五一四円並びに内金九三四万六、八八七円に対する弁済期後の同五三年八月二五日から支払ずみまで金一〇〇円につき日歩五銭の割合による約定遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の事実は知らない。
2 同3の事実は否認する。
3 同4の事実について、(一)(二)を否認し、(三)の(1)、(2)のうち被告が喜八に対し実印及び印鑑証明書を交付した事実を認め、その余は否認する。(三)の(3)の事実は認める。もっとも、被告は、国立病院勤務の医師で医師業務を専業としている者で、訴外会社の業務には全く関与していない。
4 同5の事実は知らない。
5 同6の事実のうち配当受領の事実は認めるが、その余は知らない。
三 抗弁
表見代理について原告の悪意、過失について
原告は、喜八に代理権のないことを知っていたか、仮に知っていなくとも喜八の代理権の有無について被告に全く問合せをしていないのは過失であり、表見代理は成立しない。
四 抗弁に対する認否
抗弁の事実をすべて否認する。
第三証拠《省略》
理由
1 《証拠省略》を総合すると、請求原因1、2の事実を認めることができる。
2 請求原因3の事実については、原告の主張の裏付けとしている甲第一号証の連帯保証人欄の記載は、後述のとおり被告の知らない間に無断で作成されたものと認められるので、連帯保証契約の成立を認めうる証拠とはならないものであり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
3 請求原因4の(一)(有権代理)の事実について判断する。《証拠省略》を総合すると、原告と訴外会社とは昭和三七年頃から大体月商二〇〇万円位の取引を継続してきていたが、原告は昭和五〇年秋頃になり訴外会社に対する売掛債権の保全策を講ずることが必要となり、保全策の一つとして訴外会社代表者喜八の息子に当たる被告に連帯保証を求めることになり、訴外会社に甲第一号証(商取引基本契約書)を手渡しその連帯保証人欄に被告の署名捺印と被告の印鑑証明書の提出を要求したところ、訴外会社では副社長の野村静が右甲第一号証の連帯保証人欄に被告の氏名を記入した上、喜八が右契約書の被告名下に後記認定のような事情により被告から預っていた同人の実印を無断で押捺してこれを原告に交付したこと、甲第八号証の被告の印鑑証明書は右契約書の作成の直後に訴外会社から原告に届けられているが、喜八は被告に印鑑証明書の用途について説明もしないで取寄せさせたものであること、被告は喜八に対し本件連帯保証契約締結の代理権を授与していないことがそれぞれ認められ、他に右事実を左右するに足りる証拠はない。従って、有権代理はこれを認めることができない。
4 請求原因4の(三)(民法一〇九条、一一〇条の表見代理)の事実について判断する。《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、他にこの認定に影響を与えるような証拠はない。
(1) 昭和五〇年頃訴外会社の経営状態が悪化したため、原告は、同年九月二〇日訴外会社との間で改めて商取引基本契約を締結し、その際原告は、被告を連帯保証人とするよう要請したところ、訴外会社の代表者である喜八はその求めに応じ、被告から預っていた実印を被告に無断で使用して、商取引基本契約書(甲第一号証)を作成し、被告を連帯保証人とする契約を締結したこと(右甲第一号証の作成にあたって、同じもの三通が原告から訴外会社に一週間位まえに届けられており、作成後その二通が訴外会社に手渡されているが、当時被告がこれに目を通していたとは認められない。)、
(2) 被告は父喜八とは別居し、国立病院に勤務する医師であるが、父に対してできることはしてあげたいと考えていたことから、右連帯保証契約が締結される以前数回にわたり訴外会社の銀行取引上の債務を保証する目的で、自己の実印及び印鑑証明書を喜八に預けたことがあること、
(3) 右連帯保証契約に先立つ一〇日位前にも、前記同様、訴外会社の銀行に対する債務を保証する目的で自己の実印を喜八に対し預けていること、
(4) 原告が、喜八に対し被告の印鑑証明書の交付を要求したのに対し、喜八の依頼を受けた被告は、同人に対し特にその用途について説明を求めることもなく甲第八号証(印鑑証明書)を交付したこと、
(5) 被告は訴外会社の株式を所有し、訴外会社の取締役に就任しているが、取締役というのは全く名目だけのことで訴外会社の経営には全く関与せず、年に数回訴外会社に立ち寄るに過ぎなかったこと。
以上の事実を総合すると、被告は、喜八に対し右連帯保証契約以外の事項について代理権を授与し、実印を預けていた事実が認められ、喜八は、被告から前記の目的で預っていた実印を被告に無断で使用して商取引基本契約書(甲第一号証)の連帯保証人欄の被告名下にこれを押捺し、被告のためにすることを示して原告との間で連帯保証契約を締結した事実が認められる。
しかし、一方、《証拠省略》によると、原告は本件連帯保証契約を締結する際、被告に対しては直接に連帯保証の意思の有無について確認をしていないことが認められる。
本件のように、代理人と本人が親子の関係にあり、親が子の実印を用い子を代理して連帯保証をしている場合には、親と子の間で相互に他方の実印を入手することが容易であり、また、保管を託されることが多いことからいって(このことは同居していない場合でもいえることである。)、取引の相手方(原告)において本人(被告)に対し連帯保証の意思を確認する義務があるものというべきである。この義務は、取引の相手方が金融機関の場合だけに認められるものではなく、少なくとも保証人にとって酷となることが予想されるような継続的取引の連帯保証契約を締結する場合には、その取引の相手方に負わされるものである。
前記認定のとおり、原告は、本件において、本人の真意を確認する方法として、その印鑑証明書を提出させ、印鑑証明書の印影と契約書の印影とを照合する方法を採っており、この方法は一般に本人の真意を確認する簡便な方法として相当なものであるが、本人・自称代理人の関係が親子でありそして経営が不安となって継続的取引の連帯保証をさせたという保証人にとって極めて酷な本件のような場合には、単に右印鑑の照合だけでは足りず、本人(被告)に対し連帯保証の意思を確認する義務があるのであって、これを怠り喜八に代理権限があると信じたとしても、そのように信ずるについて正当な事由があったということはできない(前述した原告が採った印鑑照合の措置や、代理人の喜八が一〇年来の取引先の代表者であったという事情、また、被告が訴外会社の株式を所有しており、名目上訴外会社の取締役となっていたという事情も、本人の意思の確認を必要としない特段の事情とはいえない。)。
そうすると、被告について表見代理の成立を肯定することはできず、連帯保証債務が生じているものとはいえない。
請求原因4の(二)(無権代理の追認)の事実について判断する。《証拠省略》によると、被告は昭和五二年四月一一日ごろ原告会社社員松井照雄から連帯保証債務の請求を受け、近日中に原告会社東京支店を訪問し履行方法について話合いをする旨を回答し、同月二七日被告は鈴木誠弁護士を代理人として喜八とともに原告会社東京支店へ出向かせ、同所において原告に対し、口頭で、訴外会社の破産財団から配当を受領した残額について請求して欲しいと申入れをしたことが認められるが、右申入れは本件の主債務が父喜八の主宰している訴外会社の債務であるので穏便に対処してもらいたいと求めたものであって、これをもって喜八が無断で締結した連帯保証契約を被告が追認したものと認めるのは相当ではない。
よって、本訴請求は被告の連帯保証債務を認めることができないので、その余の点について判断するまでもなくこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 山田二郎)